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コラム

照喜治さんと私13。

「先生が亡くなったって本当ですか?」

昨年のちょうど、今頃。

板橋の事務所で、たまたま私が対応した通販のフリーダイヤルに、そのように連絡があった。

ここ数年、照喜治さんは、ヘルニアの手術をしたり、脳の血栓を取り除く手術を行ったり、様々な体の箇所に不具合が起きていても、気持ちは元気で、前のままつもりでいるから、岡山に行ったり、中国に行ったりしていて、こっちがびくびくするよ、と次郎さんから伝え聞いていた。

「少し手術が重なっているのは聞いていますが、元気には元気で…。私どもでは、何も把握しておりません…。」

「ああ、そうなの…。私も友だちから突然そんな話を聞いて…。香典とか弔電とか送りたくて、調べていったらお宅の電話番号がわかったんだけれど…。えも分かったわ。お宅では把握してないのね。」
と電話は切れた。

う~ん。

確か90歳。

そういう歳かもしれない。

「会長?会長亡くなったよ~。私が病室に入って、ちょうど1秒後に亡くなった。足を踏み入れた途端、心臓音がプー、プー、ってなったよ。」

次郎さんに電話して聞くと、そういう話だった。

「僕も花の一つや二つ、献花したかったです…。」
「今回は家族だけでやったから。会長も90歳で、どこまでの交友関係があったのか、10年前までは把握していたけれど、今じゃわかんない。だから、会長から見て孫までの参列で済ませたから。」

2016年9月2日未明のことだったという。

農業の差別化のフロンティアで、フルーツトマトの元祖を体系付け、永田農法や緑健農法の提唱者。

永田 照喜治さんは、波乱に満ちた生涯を閉じた。