りょくけん東京

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公私混同16。~エピローグ~

発注書の返信ファックスに、安芸さんから一言。

「え~」

息子たちは新しい建物に興味深々で、まだ居たそうだった。

「赤木さんところも行ったんですよね?」
「はい、午前中に。」
「こないだ、法事があって、そこで赤木さんに会ったんですよ。それで大森さんの話題になって。」
「へ?」
「赤木さんは、大森さんが最初の、外への取引先なんで思い入れが強いみたいで。」
「へ?」
「北海道へ来れるようになったというのは、少し大森さんにも余裕ができたってことかな、って話してました。」

まったくその通りで…。

(株)りょくけん東京は、2017年1月に正社員が二名にまで減ってしまった。
この原因は何だ?と考えて考えて、やっぱり自分にある、と思った。
誰かが仕事の悩みや相談があったとしても、私に時間がない。余裕がない。

だがお金がないから人が雇えない。
でも仕事があるから自分がやるしかない。
そして時間が無くなる。
そしてついてきてくれた人たちと話ができない。
そして辞めていく。

そんな悪循環だった。

それを断ち切るには!

まずは人だ。

と、奮発して採用活動をした。

本当に有難いことに、このご時世にもかかわらず、6月に1名、7月にも1名、9月には正社員1名、来年の4月には新卒1名の入社が決まっている。

その甲斐あって銀座店の売り上げも6月から伸びたから、お金も少し回るようになってきた。

「うちも正社員二名採用しました。」
「おお~」

この後、しばらく売上と人件費の割合など経営談義。

「勝さん、このあと予定ありますよね!?そういえば。」
「はい、実は娘の七五三の写真を…。」と苦笑い。
「え~じゃあ急がないと。本当にすみません。」

勝さんが、私たちを見送ってくれるつもりで身構えまたが、丁重にお断りした。

「先に行ってください。」
少し戸惑う勝さん。

「僕は~ちょっと下二人のおむつを変えたいんで…。すみません、ここで変えさせてもらってよいですか。」
先般から、「ウンチした~」という輩が約2名いたのだ。。。

再度、苦笑いの勝さん。

「またね~」と家族で見送った。

私も経験があるが、友人の子供の面倒や、店頭でお客様のお子様を見た後は、決まって、自分の子たちに無性に会いたくなる。
勝さんもそんな感じだったのではないだろうか。

中野ファームの敷地内、駐車しているアクアのトランクルームで二人のおむつを変えて、そそくさと無人の中野ファームを後にした。

勝さんのお父様であり、長年私もお世話になっている先代社長の勇さんには会えなかった。
後でわかったことだが、ご親族で不幸があり、ちょうど函館に行ってお留守だったようだ。

余市から千歳までの道中、長男こそ小樽まで起きていたが、下の二人は、ほぼぐっすりと寝入った。

手間がかかるようで、だいぶ手間がかからなくなった。

かわいい子には旅させよ。

ちょっと違うが、息子たちの成長は著しい。
三男は人見知りも、食わず嫌いもひどかったが、きちんと農家さんに挨拶もできていたし、何よりよく食べた。
抱っこもあまり要求せず、自分でよく歩くようになった。
飛行機も不安だったが、3人寄れば文殊の知恵、ではないが、兄弟がいることで安心するのか、まったく泣かずに、飛行機が飛んでいくのを興味深く機内から見ることができていた。

長男にいたっては、「とーちゃん、早く~。飛行機の時間間に合わなくなるよ。」とお土産を選んでいる私に催促するほど。
「も~つかれた~」という三男を抱きかかえ、荷物検査場まで運んでくれたりする。
次男は…マイペース。

長男と三男はこちらを向いてくれるが、次男は飛行機に夢中…。

帰りの羽田空港。

「大森さんですか?」と声をかけてくださる男性がいらっしゃった。
りょくけんの松屋銀座店オープンからずっと手伝ってくださっていたスタッフさんのご主人だった。

実は、昨年、本人は退職。
りょくけん松屋銀座店や西武池袋店の創成期を支え、10年以上勤めてくださった、かけがえのない方だった。
近況を伺って本当に一安心。

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あれから二週間もたったが、いまだに「北海道はしあわせだった~」と長男が言う。
私も、農家さんとまたお近づきになれた気がしているし、刺激もたくさんもらった。

公私混同甚だしかったかもしれないが、とても収穫の多い二日間だった。


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