りょくけん東京

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子噺 社長日記

all I can do for him at this moment

「もう一件寄っても良い?」

「うん、行こう!でも、もう一件だけじゃなくて、夜まで静岡にいて、ご飯食べて、それから帰りたい。」

3連休最終日だったから、東名高速の渋滞は免れない。
18時には浜松を出発して、高速のどこかのサービスエリアで夜ご飯を食べて帰ろうと思っていたが、やめ、長男の提案にのることにした。

浜松でぎりぎりまで過ごしたほうが、渋滞も避けられ、時間も有効に使えるのかな。

もう一件行きたかったのは、永田家の長兄、まこと氏のご自宅。

元上司であることはもちろん、野菜くだものについての私の師匠である(と勝手に思っている)。

「今、ご自宅にいらっしゃいますか?」
「ああ、居るよ。」
「急なんですけど、お線香あげにいってもよいですか?」
「ああ、良いですよ。」

浜松には、照喜治さんのご自宅と研究所があった。
今は何も無い。

長男であるまことさんのご自宅はその近くにある。

舘山寺から、懐かしい風景を見ながら、まことさん宅に向かった。
浜松には6年間住んでいた。
見たことのある風景ばかりだ。

20分くらい車を走らせると、息子たちは、遊びつかれたのだろう、ぐっすり寝てしまった。

車に息子を置いたまま、まことさん宅にお邪魔することにした。

「ご無沙汰しています。」
「いらっしゃい。」

奥様と二人で出迎えてくださった。

はっきりと分かるくらいに、まことさんはスリムになっていた。
「なんかすっきりしましたね。」と私が言うと、黙ったまま、静かに笑っていた。

しばらくお会いしていなかったっけ。

「じゃ、こちらに。」

仏壇の前に進む。

「位牌や遺骨は、天草にあるから。何も飾っていないけど。あ、写真はあるか。」

奥から、写真だけ出してくださった。

ほっそりとやせこけた写真が出てきた。

「あ、、、こんなにおやせになってたんですか。」
「いや、まあ、これはそんなに。。。インドネシアに行く前に撮影したものだから。」

2016年9月2日。

永田照喜治さんは、波乱に満ちた生涯を閉じた。

私は何もできず、心残りだった。

それから、1年半。

ようやく、線香をあげるくらいのことができた。

静かに手を合わせ、遅くなったことを詫び、りょくけんの名をしっかり残していくことを誓った。
そして見守っていてほしい、と手を合わせた。

もともと泣き上戸。
なんとなく涙腺が熱くなった。

振り返って、まことさんと奥さんに頭を下げた。

「車の中は寒いだろうから」、と息子たちを家の中に入れるように言われた。

長男を起こして、三男を抱っこさせ、私は次男を抱きかかえた。

「父がいつもお世話になっています。」と長男はペコリ。
「おお。」とまことさん。

こたつに当たりながら、他愛も無い話をした。
しばし話し込んだ後、出立。

夜ご飯を食べて、浜松を離れた。

渋滞にも巻き込まれず、3時間半後、ちょうど0時に、自宅に着くことができた。

翌朝。
次郎さんにいただいたあさりを酒蒸しにすると、息子たちが寄ってきて、「何それ?」という。

「貝だよ、貝。」
「たべたい。」と珍しく言うので、口に入れてあげると
「おいしいっ もいっこ!」

食わず嫌いで偏食気味なのが、少し是正されたようで、かなり嬉しかった。

「とーちゃん!つぎどこいく?」

ソファを飛び跳ねながら、次男が言うのだった。

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