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訃報:桃名人 高橋家正さん逝く。

敬愛する山梨の桃農家 高橋 家正さんが亡くなった。

髙橋さん。

私が、りょくけんに入社して初めて訪ねた農家さんが、高橋さんだった。

「30代の時にアメリカに研修で行って。
 とにかく畑をうんと肥やしなさいと。
 有機肥料をいっぱいやって畑を肥やして。
 いっぱい実をつけて。
 そうすると弱い桃は自分で落果するだよ。
 強い桃は自分で、枝にしがみつくように生長する。
 そうやって、木の枝に残った桃が、ウマイだよ。」

緑健農法のことを、”スパルタ農法”とか”断食農法”とか表現することがあるけれど、高橋さんの考えは、それはそれでスパルタだ、と思ったのを覚えている。

以来13年。

7月の上旬に出る”白鳳”は絶品で、店に届くと、15玉あるうちの5玉くらいはつぶれていたりもするのだけど、完熟していて、まさしくとろけるようで、とてもジューシーで本当に美味しかった。

8月10日くらいには、”黄金桃”があり、黄肉の桃は、これまた絶品で、白鳳に比べると少し酸味があり、味に深みが出て、美味しかった。

お客さんが大好きで、どんなに忙しい時に訪ねても、朗らかに対応してくださり、帰り際には桃やぶどうなどを食べきれないくらい持たせてくださった。

2017年6月。スタッフ総出で、訪問した際の高橋さんご夫婦。

「高橋 家正さんが亡くなったって。」

そう連絡を受けた時は、ああ、ついに、と思った。
葬儀に駆け付けたかったが、九州にいて、予定もあったので果たせなかった。

このほど、休日を利用して、ご自宅を訪ね、手を合わせた。

「少し下痢と嘔吐の症状があってね。病院に入院したら、もうその日の夜9時には”心臓が止まりました”って連絡が来て。なーに、そんなら、私も息子も帰らんで、一緒にいれば良かったねー。」

長年の主を失ったぶどう畑は、どこか寂しげだった。

奥さんと話し、家の奥にあるぶどう畑を歩いていると、涙が止まらなかった。

この畑か、すこし離れた桃の畑でいつも作業をしていたっけ。

「”美味しい”と言ってもらって、お客さんが自分ちに来てくれるのが嬉しいっちゅーわけ。」

そういって笑う、あの、屈託のない笑顔にはもう会えない。

でも、あの笑顔や言葉は忘れない。

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