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スタッフ 舞台 うどん

舞台 うどん を見た。

銀座店の男性スタッフさん。
正社員並みの責任感で、実直に働いてくださっているが、実はパートアルバイトさんだ。

なぜかといえば、本職が別にあるから。

そして、その職業が何かといえば、役者さん。
昨年は新型感染症の拡大に伴い、出演が決まっていた舞台が、ほとんどすべてキャンセルになった。

昨年、キャンセルではなく順延になった作品が、ようやく7月27日~8月1日の間、日の目を見ることになった。
しかも主演だという。

スケジュール的には難があったけれど、店の店長とも話して、早めに上がらせてもらい、阿佐ヶ谷の劇場に足を運んだ。
銀座から南阿佐ヶ谷駅まで、丸ノ内線一本で行ける。

でも、駅を降りてみて、やっぱり右も左も分からない。
44年間生きてきて、初めて来た。
―と思う…。

杉並区役所をぐぐっと回って、まっすぐ。
割とスムーズにたどり着けた。
チケット代を支払い、入場して思ったのが「お、狭い。そして満員。」

正直なところ、密だな、と思った。
もちろん、換気はしているし、全員、検温済み、アルコールで手指は消毒済みではある。

ウィルスは、目に見えない。
少し軽率だったかもしれない、と思った。

舞台 うどん パンフレット

定時から数分遅れて、音楽が鳴り始め、うどん屋のセットがいったん暗くなって、また明るくなって、いつも一緒に働いているK氏が、舞台に立ってしゃべり始めると、不安な気持ちは忘れてしまった。

さすが、舞台役者さんである。
全員の声が、まるでマイクでもつけているかのように、劇場中によく響いている。

その中で、K氏は、いつもと少し発声が違うけれど、店舗と同じように販売している場面から始まった。

概要をばらしてしまうけれど、簡単にまとめれば、うどん屋を舞台にした、家族の物語で、笑いあり涙ありで、人気ドラマ”渡る世間は鬼ばかり”のような感じ。
K氏は、そのうどん屋さんのご主人。
30年間、うどんを出し続けた頑固おやじ。
そこに、所属する商店街を大規模ショッピングセンターに変えようとする輩がいて、息子はうつ病になり、娘は喧嘩して家出をして…。
どんどんと家族のきずなが崩れていく。

しまいに、ご主人は脳梗塞に倒れ、その後遺症で半身不随となり、しゃべることもうどんを打つこともままならなくなる。

家族が崩壊しそうになったとき、そのきずなをまた思い出させたのは、思い出のうどん。

うどん屋をたたむ決意をしたご主人が、店、最後の日に、常連のお客様たちにうどんをふるまい、最後に家族にもふるまう。

最後の特別なうどんに、忘れていた家族の絆を思い出す。
そして、家族を顧みようとしなかったことを謝罪するK氏演ずるご主人。
ずっと30年間、連れ添って店を支えてくれた奥さんに感謝を伝える。

物語は、そんなところで、終演を迎える。

その後、その家族がどうなったか、語れることはなかったけれど、そこはご想像に。。。
きっと、30年間守ったうどん屋は無くなったけれど、そんな困難も、紆余曲折ありながら、乗り越えていくのだろう。

5、60代になっているだろうご主人の表情と、半身不随の鬼気迫る表情、時折、回想場面に移るときに若かりし頃の表情と。
何度か見ているけれど、K氏の演技は圧巻だった。

周りの方も、総勢20名ほど出演していただろう、みんな上手だった。

―私も、銀座店を立ち上げて16年。
劇中のご主人のほんの半分の年数しかたっていないけれど、やっぱりいろいろあった。
重なる部分もある。

K氏は、この半月ほど、半日出勤しては、午後、夜からは稽古、あるいは本番に出演していた。
体力的にもきつかったのではないだろうか。

そんな尊敬の念と、劇にのめりこんでしまったので、しばらくぼーっとしながら会社に向かった。
ちょっと届け物があったからだ。

店舗→演劇鑑賞→会社。

自宅に帰り、まず、行ったのは、夏休み中の息子たちと嫁とキャッチボール。
蝉の声が鳴り響く中、日が沈むまで。
そこから、夕食を作って、長男と将棋を3本差した。

演劇を見て、少し興奮していたのかもしれない。
長い長い一日だった。

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