りょくけん東京

りょくけんだより
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もち 子噺

束の間の休日。

下山した後、早く寝ついてしまったせいで、前夜に食べられなかったおそばを朝食に、黒豆、なます、伊達巻、栗の甘露煮を出した。
いずれも前日のスーパーマーケットで購入したもの。
残念ながら栗きんとんは売り切れで、たまたま製菓用品コーナーで見た栗の甘露煮だけ購入した。
子どもと叔父が良く食べそうな甘いものばかり、、、

昼は、長男が友達とそのお父様と海釣りで釣ってきたサバとアジを割いて、七輪で炭を炊いて食べた。
はらわたを出して、開いて、塩をして、短時間干したものだったが、ぷりぷりで、ことのほか、うまかった。

 

自慢の、りょくけんの豆つなぎと、玄米餅も焼いて食べた。
遠赤外線、恐るべし。

火も出ていないのに、煙が出ていると思ったら、餅が焦げているサインで、最初は真っ黒になってしまったが、
網と七輪の間に石を入れて高くし、火加減?を調整して焼いたら、これまたことのほか、美味しかった。

豆つなぎには塩が入っているので、当然、そのままでも美味しく、玄米餅は、原料が羽二重餅だけなのに、味が濃くて本当に美味しかった。

食後は、日も陰っていたけれど、お墓参りにも行った。
水を入れたやかんと、お線香と、マッチと。

毎回、連れて行っているので、手慣れたもので、長男と三男が、枯れた花を取り除き、お墓にかぶっている枯葉を落としてから、水をかけてくれた。
火を点けるのは、男子はやはり楽しいようで、マッチで一生懸命、古新聞紙と枯葉に火を点けてから、お線香に着火し、お供えした。
「それ、直接、マッチからお線香に点ければ良くない?」と妻に突っ込まれたけれど、そうじゃないのだ。

「いい?小学生のうちは、友達だけで、火で遊んじゃだめだからね!」と長男が釘を刺されていた。

墓石には遺訓が掘られており、次男から「なんて読むの?」と聞かれた。

祖先より大切なものは子孫なり
家名引き継ぎ永遠に守るべし

一度、二度と私の後をたどって読んだが、次男は断念した。

「どういう意味?」と聞かれるので「う~ん。」とうなった。

「とりあえず、僕は一定の役割を果たしてると思う。」と聞かれてもいない答えを私は返した。

日は沈んでしまったが、まだ明るかったので、少し離れた、アスレチックも巨大滑り台もある、大きめの公園に向かい、暗くなるまで、遊んだ。

「この遊具は年齢制限とか、体重制限ないの?」と意地悪く私に言う長男。
数ある遊具の中で”人間ロープウェー”と昔名付けてから、ずっと好きな遊具に飛び乗って、シャーっすべり、ドスンと止まった。
出発の台から、到着の台にワイヤーが張られていて、そこに滑車が取り付けられロープがぶら下がっている遊具。
多くの施設で、12歳まで、とか体重40kgまで、とか制限が掛かっている。

「そういうのはね、事故が起きてから、制限されるの。落ちないように、けがをしないように気を付けてみんなが乗っていれば、ルールなんてできないんよ。」

とはいえ、設備の耐久性には少し不安を覚えた。
「とーちゃんが乗ると、ここで待っていても、台が揺れるね。」
「え。まじで?」

ちょっと控えた。

返ってすぐ、叔父と息子たちが炊いてくれた五右衛門ぶろに入った。
叔父がこしらえてくれていた、ぶり大根とおせちの一部とをみんなで食べた。

「さ、片付けよう、そして、帰るぞ。」と号令を出した。

一人、四男は、「え。ぼく、にかいで、ねたいなあ。」とかわいいことを言って叔父を喜ばせた。
私の自宅はマンションで、2階がない。
階段や、いくつもある部屋や隠し部屋(倉庫)が楽しかったらしく、2階部分で寝るのを楽しみにしていたようだ。
そういえば、五右衛門ぶろも気に入ったようで、二回ほど真っ裸になって、「おふろはいりたい~。」「たいへん、おふろつめたいよ~」とも言ってたっけ。

山梨は、内陸性気候で、とても冬は乾燥するので、頬が真っ赤になっていて、さらにかわいかった。

さ、初日の出も見たし、餅を焼いて、商品写真も撮れたし、墓参りもした。
明日から、気持ちを切り替えて、仕事だ~~~!

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