りょくけん東京

りょくけんだより
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暑い暑い日に、雨宮さんの桃畑を訪ねる。

「氾濫のたびに土壌が堆積してできた土地でね、でかい石も無くて、とても良い土っちゅうワケ。」

笛吹川と重川(おもかわ)が合流する場所、大野。
数千年前の縄文時代から人が住んでいたと言う。

「自宅を少し掘ると、囲炉裏の跡の石とか、土器の欠片とかが出てきちゃうんだよね。」

縄文人が住み着くほど食物や生態系が豊かだった証左だろう。

梅雨の中休みの、良く晴れた日。
私は山梨にいた。

本格的にシーズンが開幕する桃を見たかったからだ。
りょくけんが全面的に桃をお願いしている雨宮さんの桃畑を訪ねていた。

「これはね、夢みずき。白鳳と暁星(ぎょうせい)の掛け合わせかな。」

きれいに草刈りされた桃畑に、着色のための白いビニールシートが敷かれ、なおさら畑がきれいに見えた。

桃は、中国から伝わったらしい。
6000年前の九州の遺跡から、桃の種が見つかっているので、やっぱり縄文時代には伝来していた。
今のような大型の桃に発展したのは、明治時代の事。
主に岡山で大玉の桃が育種され、今日よく見るサイズの桃になった。
原生地である中国も含め、日本以外の国で見かける”桃”が小さいのは、それが桃の元々のサイズだからだ。

山梨で、桃の栽培が盛んになったのは、昭和30年頃からで、それ以前はもっぱら米と麦が作られていた。
戦前戦後、生きるための穀物が作られていた、ということだろう。

雨宮さん自身も、代々、酒造屋だったそうで、果樹に取り組み始めたのは、やはり昭和30年代だそうな。

岡山から導入された白桃から、枝変わりで早生系の白鳳が生まれ、つるんと皮が剥け、やわらかくジューシーなイメージが根付いた。
本来の白桃は、収穫直後はまだ固めで、決して皮はつるんとは剥けない。
つるんと剥けるのは、早生系の白鳳の特徴なのだ。

現在は、極早生の千代姫から始まり、早生の白鳳系の桃、白桃系、晩生の白桃とリレーされ、約2か月ほど山梨の桃は楽しめるようになっている。

「桃は、えらい※作物でね。経済栽培に耐えられるのは15年くらいの期間だもんで、その次の幼木を常に用意しておかなきゃいけないから、僕で1.3町あるうちの3町くらいは、モノになるかどうかも分からない新しい品種を植えているよ。」

※えらい とは、甲州弁で、”大変”、”骨が折れる”という意味。いや、関東以外ではほぼ標準的に使っているような気もする。

雨宮さんで言うと、6月中旬から、千代姫、日川白鳳、御坂白鳳、加納岩白桃、夢みずき、夢しずく、夢桃果、本白鳳、嶺鳳、浅間白桃、夏っこ、白桃、川中島白桃、くにか、紅くにか、幸茜、さくらと続いていく。
それぞれ、風味はもちろん、裂果や落果の度合い、着色や、収穫時期が違う。

だが、それぞれの桃の樹が、ちゃんと桃を実らせ、経済的に成り立つだけの量がとれるのは、10年~15年くらいに限られる。
その次の時期に備えるため、新しい樹を備えさせているわけだ。

「夢なんとか、っていう品種が多いんですね。」
「山梨県がね、育種している桃は、夢を付けてるね。でもね、それも問題でね。」
「問題?」

桃の枝の陰に入りながら、雨宮さんの顔が曇った。