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産地情報 社長日記

多島美の美しさと哀愁と。

瀬戸内海は、中国山地と四国山地に挟まれた内海のため、晴れの日が多い。
中島を名産地として押し上げたのは、そういう背景もある。

晴れた空と、海と、島々の風景は本当にきれいだ。

「島が、”多島美”っていうんですか、本当にきれいですね。石丸さんは見慣れているかもしれませんが…」
「そう、そうなんですよ、私らには全く普通の風景で、もう何も感じません。」
「でも、きれいですね。」
「あそこに見える島は、もう広島県ですが、倉橋島言うて、石地が生まれた島ですわ。」
「あ!そうなんですか。だから石丸さんは石地を作るんですね!」
「そうなんです。八幡浜の方が、”石地はあかん”って言っていたのもわかるんです。八幡浜では良い石地にはならんでしょう。やっぱり同じ島で、これだけ近いとことで生まれた品種だから、美味しゅうなるんですわ。」
「なるほど。だから宮川とかは作らないんですね。」

宮川は早生種。
石地は12月に入ってから収穫される中生種なので、一概には言えないが、場所によって向き不向きがあるわけだ。

「だからね、お客さんにもなかなか理解してもらえんのですが、”極早生”は作ってないんか?と聞かれて、作っていた時期もあるし、今も少しはあるんですが、ほんと、たいしてうまくないんですよ。ここ中島はやっぱり12月後半から。早生もそんなに美味しくならないんです。」
「極早生や早生みかんの栽培には向かないっていうことですか?」
「そうなんです。土壌とか気候とか、四国本土とはまた違うんですよ。」

八幡浜の川田さんが言っていたことと一致する。
八幡浜と土壌が違う。
石地はよくない、と川田さんが言ったのは、八幡浜で作るのには向かない、ということだったのだろう。

「あ、あの島。あの島はもう、山口県なんですが、ダッシュ島ですよ。」
「へえ~なるほど。」

ユニクロに勤めていた時には山口県にいたので、なんとなしに親近感がわく。

「あと、あれ。大森さんくらいの年だとわからんかなあ、すすめ電波少年でも、あの島で無人島生活をしてました。」
「知ってます、電波少年。同じ島だったんですね~」

そんな、他愛もない話を20分ほどしていたら、島の半周ドライブが終わり、港に着いた。

17時台の高速フェリーを逃すと、18時台になり、それ以降のフェリーはない。

「みんな、お取引のある方でも、”近くまで来た”言いよんですが、結局フェリーの時間でここに来るのはあきらめるんですわ。」

松山空港からは、電車も出ているし、高浜港の目の前にJRの駅もあった。
そんなに、不便ではない、石丸さんが”辺鄙な場所へようこそ”と言うのは、謙遜だ、と感じていたけれど、19時には、もう往来する船がないことを聞いて、それは、やっぱり謙遜ではないのだな、と率直に思った。

学校も、小学校と中学校が一つずつ。
松山に飲みに行けば、必ず宿泊になる。
車で一周40分強。
2000名ほどの島民。

流れの早い現代において、島の環境はどんどん厳しいものになっているのかもしれない。

「またぜひいらしてください。辺鄙なところですけど。」と、高速フェリーに私が乗り込むのを見届けて、石丸さんは自分の車へと戻っていった。

帰りの高速フェリーもまたもや揺れたので、じっと目を閉じた。
帰りの便は他の島には寄らず、まっすぐ松山の高浜港に向かったので、行きよりも10分ほど早く着いた。

レンタカーに乗り込み、松山空港で返却。
飛行機で、成田空港に着いた。

松山空港にて。都市伝説???

格安航空を利用したので、第3ターミナルに到着。
ひどくさっぱりしたつくりのターミナルは、なんだか負けた気がいつもしてしまう。
幕張までリムジンバスで行って、そこからJRに乗り換え、無事に自宅に着いた。

「帰ってきた~」
1泊2日。
久しぶりの長い出張だったけれど、学ぶこと、感じることの多い2日間だった。

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