りょくけん東京

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子噺 社長日記

大晦日、閉店後に。

丸の内線銀座駅 19時40分発の地下鉄に乗る。

それがデッドラインだった。
2022年大晦日の松屋銀座の営業は、18時までだった。
松屋さんにどのような意図があったかわからない。
お客様にはちょっと不便かもしれないが、販売スタッフさんにとっては有難い営業時間だった。
レジ締めには、1時間半はかかる。
19時36分に松屋の建物を出て、丸の内線のホームに向かった。
銀座線や有楽町線に比べると、丸の内線の銀座駅は、やや遠い。
改札を抜けてホームに駆け下りたが、プシューッという音とともにドアは締まった。
19時40分だった。
次の地下鉄は、19時46分。

新宿駅に向かい、20時発の特急あさまに乗りたかったのだが、ぎりぎりアウトになってしまった。
代替手段はないかと、検索すると、交付まで高速バスが出ている。
20時5分発…。
接続の時間は4分あるけれど…。

新宿駅に着いて、バスタ新宿こと、新宿のバスターミナルを探す。
知っている人にとっては、JR新宿駅の目の前なのだけれど、なかなかたどり着けない。

う~ん、そういえば、電車に乗り遅れて高速バスを代替利用した、みたいな話をスタッフの誰かかから聞いたなあ~ なんて思いつつ。。

結局20時5分はあえなく過ぎてしまい、代替案は間に合わなかった。

あきらめて21時発のあさま55号に乗ることにした。
新宿駅で、あと50分以上待つことになってしまった。

あんなに急いでいたのに、急に降ってわいて出現した50分の余裕時間。
不思議な気分だったが、お弁当を買って、ホームで食べた。

調べると、甲府駅で身延線に接続がある。
二分しか乗り換え時間がないが、たしか、同じホームの後方に、身延線のホームがあるので、間違えて階段などに上らなければ、十分に間に合う、はず。

かくして22時36分に甲府駅に着き、大きな大きな身延線の看板を目にして、踵を返して、ちょっと走った。
最初の進行方向と違ったからだ…。

身延線は、利用客が少ないので、ワンマン二両。
寒いので、ドアが開いていない。
ボタンを押して、自らドアを開けて乗車する。
知らないと、これもかなり手間取ったことだろう(私はすでに何年か前に、戸惑った)。

電車の中は、とても暖かった。

身延線は極めてローカルな路線。
大晦日の22時台の電車と言うことで、乗車客も数えるほどだった。
最終駅である鰍沢口に向かうにつれて、さらに乗客は少なくなり、23時18分、鰍沢口に着いた時には、私一人だった。
後方の車両のドアは開かず、先頭の車両の一番前のドアしか開かない。
そこまで走っていき、運転手さんに切符を渡して、降車した。

さて。
ここまでも、ぎりぎりの接続だったけれど、ここからが問題。

目的地は次の駅だったからだ。
終電の客めがけて、タクシーが一台くらい待ってやしないかと期待していたが、誰もいない改札を降りると、タクシーはおろか、人っ子一人おらず、明かりもなく、「あ、やっぱり。」と思った。

心のどこかではわかっていたことだった。

「仕方ない、5.5㎞、1時間くらいなら歩くか。」と思ったが、右に進めばよいのか左に進めばよいのかもわからない。
スマートフォンを取り出そうとしていたら、一台だけ車がこちらにやってくるのが見えた。

”タクシー? 分かった、一人お客様を送って行って、また戻ってきたタクシーだ、きっとそうだ”

私は、自分の都合の良いように事象を把握するクセがある。。。

近づいてきた車は、軽バンだった。
すなわち、タクシーではなかった。

ドライバーの方に、行先を聞いて、隣村まで乗っけて行ってくれないだろうか…。
でもなあ…。

なんて思っていたら、どこかで見たことのある車であることに気づいた。

…まさか!!!
運転席をのぞき込むと、そこには、私が目的地とする実家の実家の主である叔父が座っていた。

私は飛びあがって驚き、喜んだ。

「何にも知らせないんだから!」
「おじさん、すごい!おじさん、すごい!」

道中、おじさんのお小言も、すべてスルー出来るほど、私はびっくりして、感動すら覚えていた。

年末年始は、共働きの我が家にはむつかしい時期。
妻も仕事があり、今年は、元旦だけが休みの私と、元旦だけが仕事の妻、というスケジューリングだった。
息子たちは田舎に行くのを楽しみにしている。

私どもが出した結論は、29日に妻が息子たちを田舎に連れていき、大晦日の日に妻だけ電車で帰宅。
入れ替わりで、私が大晦日に電車で田舎に向かい、世話をする、というオペレーションだった。
叔父は82歳を迎え、育ち盛りの息子4人を一人で面倒を見るのには、ある程度、限界がある。

ただでさえ迷惑をかけているので、これ以上迷惑をかけないように、と自力で行くつもりだったのを、叔父は察して、何も言わず、電車の到着時間に合わせて迎えに来てくれた。

「何時の電車に乗る、とか少しでも言ってくれれば、もう少し良かったのに…。」

隣村の終電は30分前には終わっており、叔父の家に貼ってある時刻表には、鰍沢口の到着時間は乗っていない。
それなのに、私が身延線に乗車した、と聞いて、不思議に思い、PCで検索し、このルートが分かったらしい。

果たして、私は無事に年内に息子たちに再会することができた。
広い田舎の家で、暴れまわっていたのが、何も聞かずとも伝わってくる感じではあったが…。

大晦日。
朝からとっても色々あったけれど、叔父の推察力に本当に驚き、感謝した日だった。

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