りょくけん東京

りょくけんだより
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一年の計はー。

元旦は、ここ数年、初日の出を見に行っている。
小学校4年生の時に、父に連れられて、父の実家の裏から、道なき道を、鎌をもって突き進み、尾根沿いにある道にたどり着いたときの思いは今も忘れない。
山梨のお屋敷の裏側には、日向山という山があり、そこに、仏舎利塔があり、毎年元旦には、お寺さん主催の催しがあり、賑やかなのだ。

何年か、車で行くこともあったが、息子たちも大きくなり、最近はまた歩いて登り、日の出を拝んでいる。

小学校4年生の時と違い、歩道が整備され、成人であれば30分ほど歩けば十分たどり着ける。

一昨年辺りから、家族の男子たちの間では、半ば競争のようになっており、長男を先頭にがつがつ登っていく。
今年は、12分ほどで踏破していた。。

「父ちゃん遅かったね」と言われるのが私は悔しくて仕方ないので、頑張って登り、私は14分で踏破。

中学1年生になった長男には何も言われなかったが、次男と三男にはやっぱり「父ちゃん遅かったね。」と言われて悔しかった。

が、序盤のキツイ坂で、足がやや上がらないのを感じたし、口呼吸が厳しくなるくらい、ハアハア言っていたのは間違いなく感じており、無理できない年になってきたのを悟ってしまう。

山頂にある白い仏舎利塔の周りは人が多く集まっており、ここ数年の中で、一番、人出が多いように感じた。

19時20分。
日蓮宗のお坊さんの読経が始まり、19時30分、いよいよ日の出が始まった。

人々が住まう盆地の底では見ることが出来ない、富士山が、ここ、日向山では、見ることが出来る。
その富士山の右肩から日の出が始まると、毎年思うが、暖かさを感じ、太陽の偉大さを思い知る。

日の出が上がる前に富士山の両肩に光が差す、その神々しい風景ったら、なかなかない。

ようよう白くなり行く山際。

そんな一節を思い出す。

今年は、妻、息子4人の他、昨晩会えなかった父も同行。
75歳になったはずだが、元気だ。
運動神経が良く、今だ、週に1回ボーリング、ゴルフ、テニスを必ず行い、週の真ん中には、千葉の高校で教鞭をとっている。

檀家の方がボランティアで、お神酒から、おつまみ、豚汁、甘酒まで用意してくださっており、たくさんよばれた。
地元のお野菜を使うのか、豚汁の野菜もお味噌も美味しい。

じゃがいもがボコボコしており、芽取りが大変だっただろうなあ、でもそのくらいの方が、うまいんだよなあ、なんて思うのは私くらいだろうか…。

奥が父。手前が私。

「きれいだなあ~」と思う風景が、長男と同じようで、初の日の出を見ている時も、下山の際に風景を眺めている時も、同じ景色に、同じことを思っていた。

今年こそ、飛躍の年に!

再び父の実家のお屋敷に戻り、おせちとお雑煮を囲んだ後、近くの小学校でテニスをした。
十年ぶりにラケットを握った私は、サーブは入らないし、フォアハンドは入らないし、散々だったが、まだ長男にも次男にも負けないことが分かった。
父も叔父も参加して、心から楽しかったし嬉しかった。

お昼に、再びおせちとお雑煮を食べ、腹ごなしに、お墓参りと目の前にある公園でサッカーをした。
芝生が繁茂しており、冬芝だったけれど、芝生の上でできる贅沢なサッカーを楽しんだ。

そのさなか、能登沖の大地震の知らせがあった。
ー絶句した。

お屋敷に戻り、こたつに座ると、体のそこらじゅうが痛いことに気づいた…。
特に、肩と肘。。。

筋肉痛が早いことを誇りに思いながら。。。

大学の部活の先輩が、久しぶりにテニスをやると尻が痛くなる、と部活の文集に書いていたけれど、立ち仕事が多いせいか、尻はさほどでもない。
右肩と肘、手のひらが、激痛。

頭の中で思う自分のイメージと実際の体は、もう、違うらしい。

夜ご飯もおせちをつまみ、近くにある温泉に立ち寄り、養生してから、帰路に就いた。

息子たちは、「もう何泊もしたい。」とうるさかったが、妻は明日から仕事なので、1泊だけで帰る手はずだった。
大きな渋滞もなく24時前には到着。

仕事からしばし離れ、体は痛くて仕方ないが、リフレッシュできたように思う。

今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。

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