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ファーストトマト 高島

高島のファーストトマト事業。

長崎の離島、高島では2000年代からりょくけんも指導に入り、ずっとファーストトマトを育てていた。
ただ、うまく行かず、一度は破綻。

↑ 当時のハウス内。

地元の雄 崎長海運さんが事業を引き受けた。
タンカー何台分かの赤土を県内の小長井地区から運び込み客土し、農協から営農指導員だった方や役所を引退したやり手の方をヘッドハンティング。

↑ 客土の跡。

「黒字にするぞ!」と情熱をかけてトマトを育て、事態は好転した。

2012年、私も、上司から「なかなか良くなっているようだから一度、行ってみなさい。」と助言を受けて、訪問し、それからずっとお取引させていただいている。

当時の責任者だった藏地さんから、島に着いた時に掛けられた第一声は

「外国へようこそ。」

だった。

瀬戸内海の島々や、それこそ長崎の壱岐島なども訪ねていたので、フェリーに乗ることにさほど抵抗はなかったので、はるばる高島にやって来た、という感覚はなかったのだけれど。
(りょくけんは、島が好きかもしれない。)

藏地さんが引退し、後を引き継いだのは、同じ役所の後輩で、藏地さんが目を付けていたという木下さん。
フットワークが軽く、嫌なことも快く引き受けてくださる方だ。

 

先日、私が長崎港でフェリーに乗り遅れた際も、伊王島港から駆けつけて、慰めてくださった…。

というわけで私は木下さんに頭が上がらないのに、木下さんは極めて腰が低い。

高島港にも、忙しい合間を縫って、迎えに来てくださった。

「社長!大森社長!お忙しい中、ようこそおいでくださいました!」
「あ、いや、そんな…!」

高島港の待合場所は、ほぼ無人。
1/4くらいのスペースに、トマトの販売所があり、木下さんはそこの店番をしているところだった。
女性の方を事務所から呼び、交代してもらって、すぐ裏の、小高い場所にあるハウス郡に案内していただいた。

ハウスは、連棟を含めて30棟あり、A棟、B棟、C棟、D棟、E棟と5区画に分かれている。
小高い場所にあるA棟は16連棟あり、0.5ヘクタールの面積を誇る。
向かいにあったB棟は、老朽化が進み、解体。
0.5ヘクタールくらいの土地が、今のところ、空いている。

その代わりに、道路を挟んださらに高い場所にハウスを建て、現在、6連棟のC棟、D棟と3連棟のE棟が現在、稼働している。
C,D,Eの棟の合計が0.5ヘクタールとなり、解体したB棟で減った収穫量を補う。

E棟の前のスペースには、新たにハウスを建設しており、そこが稼働し始めたら、A棟も解体する予定らしい。

↑ 建設中のハウス

A棟の連棟の中は、老朽化が進んでいると言うが、まさに圧巻の景色。
葉掻きや、誘引作業、脇芽の除去、摘果作業が行き届いており、大いに盛り上がった。

 

木下さんの他に、栽培も収穫作業も販売もできるという藤原さんが説明に来てくださった。
藤原さんの本業は、ミュージシャンだそうで、前の日曜日もバンド演奏を港の祭りで行っていたそうだ。

バンド名はレインボーミュージック
東日本大震災が起きた時に、仲間と一緒に、島に移住してきた。
島内にスタジオを作り、CDも作るし、Tシャツも作るとか。

高島港の待合室の別の1/4のスペースを持つ販売店も運営して、CDもTシャツもそこで販売しているという。

「さっき、そういえば見ました。黒いTシャツを売っている…?」
「そうです、そうです、そこです。」

ただ、悲しいかな、今は島を離れ、対岸に引っ越したそう。

「先ほどの女性も、引っ越した、って言ってましたね。。。」

「大森社長、いろいろあるんですよ、、、保育園がないとか、子育て世代には難しいことが、島にはあるんです。」と木下さん。

いつもの笑顔が少し曇った。

「隣の伊王島には、次々と建物が立つんですけどね…。」

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